勝手に「離婚」を分析してみた

離婚

離れ離れの子供へ何を伝えられるのか?悩んでいる方は多い世の中でしょう。

相思相愛の親子関係と、顔も見たくない元夫婦関係の立場は私だけではないはずです。

離婚したからこそ想う家族や親子という関係があるかと想います。

失った関係は元には戻りません。欠けた状態で前に進むしか道はないのに、振り返ってしまう。そういう答えが出ない悩みを分析してみました。

的外れならば、すみません、忘れてください。何かの参考になって誰かの救いになれば幸いです。

 

親子の縁は切れない

「親子の縁は切れません!」と言い切る離婚相手や離婚相手の両親の思惑は偽善者の何者でもないと思います。

ケースバイケースなため、これといった答えはないでしょう。ただ、共通する思想というものがある。正しいかどうかは答えはありませんが、大まかに共感していただける部分はあると思います。

 

離婚したい側からの「親子の縁は切れません」発言の場合

憎い相手だからこそ、親子という関係を留めたい思惑があります。これは単純にお金です。養育費は元より、子供にかこつけて資金を出させようとする想いです。

大方、発言する側がお金に困っているか、相手の方が資産的に裕福な場合があります。お金に余裕があると自分たちで解決するから口を出させない方向に行くでしょう。そうではないため、事あるごとに請求しようという腹づもりだと思います。

もらって当たり前。何故なら「子供の為だから」という大義名分があるからです。そこに掛かる費用を負担せずに自分たちの自由になるお金を得ようという魂胆です。子供を引き取った側(奪った側)の発言でしょう。

仮に100歩譲ってそれを正しいとすると、片親として義務を果たしているのだから、権利である子に対する想いを口を出しても良いということになりますが、この場合、恐らく全く聞き入れてもらえません。

今の世の中に多い「自分の権利のみ主張する」タイプの人達です。およそ理論的ではなく感情的に物事を感じて決断していくタイプが多い。周りに共感を得て正当性を主張します。大方は自分達の非は隠すか認めません。したたかな生き方でもありますが社会性は乏しい家庭でしょう。

離婚された側からの「親子の縁は切れません」発言の場合

独占欲が強く、離婚そのものも認めない、子供を取り返す腹づもりもあり、お金ではなく世間体を重視するタイプだと思います。仮に非があってもそれとこれとは別といった考え方で、ある意味では理論的ではあるものの、あまり共感されません。浮気や借金という何か決定的なことがあった場合は尚更で、相手側は縁を切りたい関係でしょう。

こちらもある意味では「自分の権利のみ主張する」ように思えますが、恐らく義務も果たすでしょう。そのため相手も聞かざるを得ない状況になるかと思います。

 

いずれの場合も本質的には子を想う気持ちはあると思います。ただ、とちらかと言うと、離婚された側からの発言の方が、立場が弱いのに子のためという想いは強いのかも知れません。素直に全面降伏して子のために生きる気持ちが伝わると良いのですが、相手が受け入れてくれないでしょう。

連絡を絶ち逃げる

離婚してから連絡が取れない。引っ越しなど所在が分からない。こういう逃げた相手というのは親子の縁は切りたいから分かり易い行動です。

本心としては子への想いはあるのでしょうが、そういう未来は望んでいないため、綺麗サッパリ何も無かったようにやり直したい状態だと思います。

親としてどうかという問題は残りますが、これはこれで苦悩が無くなるわけでもありませんから違った意味で十字架を背負って生き、いつか子供から恨まれて晩年を過ごすことは想像もしていないでしょう。これは若い方に多いと思います。

逃げても踏ん張っても地獄。離婚とは因果な事です。

子供の負担

どういった離婚にせよ、子供の精神的な負担は相当なものです。私の子の場合は、吃音症が現れました。中には発育が遅くなったり、感情が出せないといった深刻な例も聞いたことがあります。通常ではあり得ない精神的な負担は、別れた子の年齢が低い程に分かり易く現れるようです。

愛情を注ぐしか解決方法はありません。片親でも、離れて暮らしていても、あなたは大事なんだ、愛されているのだと伝えるしかありません。足りませんし時間もかかります。

我が子と暮らしていた時は全く見受けられなかった子供の負担を目の当たりにして親としても苦悩する日々が続きます。ここで別れた者同士で話し合えれば、元の鞘に収まるのは例外としても、子供をきっかけに協力できることも多くなると思います。是非そうなることが不幸中の幸いだとは思うのですが、なかなか現実には難しいでしょう。

片親で立派に育った。これは幻想だと強く思います。仮にそれが真実ならば両親が揃っている子はさぞ立派でしょう。表面に出ない子供の闇を理解してあげないとなりません。両親が揃っているのが子供からすれば当たり前の関係です。

無論、両親が揃っていても離婚したと同じような夫婦関係では意味がありません。形ではなく、夫婦として協力し子供の想いを受け入れる両親であって初めてまともな家庭の子となると思います。

口出しする歪んだ母娘関係

離婚する夫婦の親(祖父・祖母)というのも何かしら問題がある場合が多いと思います。子離れできない親が一番当てはまります。年齢の差はありますが、所帯を持った夫婦に対等な意見は問題ありませんが、いつまでも親としての口出しは無用だと思います。日本人が幼いのはその部分で、だからあまり世界では通用しません。自立という意味では後進国です。

 

これまでの日本人は家族は家の単位で動いていました。それがいつのまにか個人主義になり、欧米と変わらない価値観になってきました。しかし、家族という組織や社会の枠組みは未だに家の単位が幅を効かせます。これは都市部よりも郊外、田舎、過疎の方が顕著です。家という枠組みで生きる方が生活しやすい地域がまだまだ多いからだと思います。

結婚した子供を自分の思うままにしたい親がどれ程多いのか分かりませんが、孫ではなく自分の娘、息子に構ってもらいたい親がタチが悪い。その親もまた自立していないため、いつまでも可愛い我が子、いや、言うことを聞く下僕でしょうか、何か履き違えている親が多い。

 

学歴がなくお金や世間に苦労した親、逆に高学歴で何もかも上手くいってきた親の両極端が当てはまるかと思います。平凡な学歴や職歴、貧乏でも金持ちでもない親というのは、子供にもあまり期待して育てませんし、恐らく自分達も満足しているので、対等な関係が築けるのではないでしょうか。

気持ちに余裕がある。または幸せのハードルが低いためでしょう。小さな幸せで満足できるという、人として達観しているとも言えます。そうなりたいものです。

 

 

まともな親子関係とは?

子を想うならば、むしろ逆に放っておける信頼を持っていて、困ったことがあったらすぐにサポートできる。そういった自信がある親で、子を信頼している親というの、最近は希だと思います。

放任主義とはまた違い、遠くから見守ることが親としてあるべき姿だと離婚してみると思います。見守るしかできない立場になって、これを夫婦の関係でできるのか?と自問してもできなかっただろう。いつか出来るかも知れないが難しいことだろうと感じます。

離婚して離れ離れになったからこそ、子供の気持ちをより理解しようと努めている自分をどう思うのかも人それぞれではありますが、ただ1点、離婚して解った親という立場です。

字のごとし、「木の上に立って見る」ことは大変に難しい。

本来の親子というのは、もしかしたら、仲の良い他人であり、半分の血を分けた自分そのものと感じます。

正に

親側から信頼すれば子も信頼する。子を想うから子も親を想う。遠くから見守るから自立する。子もまた見守られて尊重され安心だから親を尊敬する余裕も生まれる。

そしてその子が反面教師ならぬ、人生の鏡としてまた子を育てる。そういう良い連鎖なのでしょう。

 

離婚はしてしまったけれど、親として強制的に見守ることになったのだから、それを最大限に活かして、我が子には自立を促す方がいい。

社会的な家系としては途絶えたけれど、血は途絶えなかった。ご先祖様には申し訳ないけれど、家ではなく、個体として自分のアイデンティティを伝えていきたいと個人的には思います。

親が無くても子は育つ。

悲しいけれど、真理に違いない。立場はどうであれ、親として残せることは残してあげたい。もしかしたら子に自信を与えるだけで充分なのかも知れません。

 

本来はシンプルな関係なのに外野が複雑にしてしまっているように思います。

親としては、多くを語らず笑って受け入れ、抱き締めて、大袈裟でも「大好き」と伝えてあげることが大事だと痛感しています。

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