面会日の日数も時間も足りないパパ(ママ)は考え方を逆転してしてみよう!

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離婚してなかなかお子さんに会えない父親(母親)の皆さんへ、考え方を逆にしてみませんか?

世の中、特に日本では共同親権はありません。ほぼ母親側が親権を取得するのが通例です。しかし、「選択的共同親権を法務省が本格検討へ入った」というニュースをご存じのように、欧米の形に変更していく流れです。

完全ではなく、選択制としても離婚後の選択肢が広がるのは良いことだと思っています。

父親側が暴力や虐待という確率も高いことから、犯罪になるような人にはそもそも親権は取れません。一方で中には母親が虐待するケースも増えてきました。

これまでの法律の中で煮え湯を飲まされる父親側も多くなってきましたので、全てではなくてもお互いに納得出来ない面会が続いているのが現実です。

私自身も離婚自体は仕方ないとしても、その後のやり取りに手のひらを返され、心身共に疲弊しています。そういった離婚後の子供との面会について悩んでいる人に向けてまとめてみました。

お読みいただけると共感できる部分もあるかと思います。ご参考になれば幸いです。

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会えないのではない?

そもそも面会の条件以前に、全く子供に会えない父親(母親)も多くなりました。仮に面会出来ているのならば、細かい事はさておき、会える事実だけはとても幸せなことなので自覚しましょう。

全く会えない場合は、訴える状況はあると思います。すぐに行えるのは「面会交流調停の申立書」を家庭裁判所に申請できます。費用は印紙代のみです。(面会交流調停の申立書ダウンロード先

収入印紙1200円分(子ども1人につき)
連絡用の郵便切手(申立てされる家庭裁判所へ確認してください)

弁護士を雇わなくても可能です。

申立書及びその写し1通(6の書式及び記載例をご利用ください。)

標準的な申立添付書類
未成年者の戸籍謄本(全部事項証明書)

詳しくは裁判所のページ

ただ、DVでの離婚などはかなり難しいと言わざるを得ません。

他にも子供自身が嫌がっている場合や、面会を要求する側が連れ去る恐れがある場合などは、当然ながら認められません。

 

どんな離婚であっても面会は子供の権利でもあります。調停をした事実は、子供が大きくなってから知ることができれば、理解も深まると思っています。無駄にはなりません。何もしないよりはトライしてみましょう。

実際の調停は、面会交流の回数や日時、場所などといった具体的な内容や実施方法を話し合うことができます。

調停のあと、審判によって決定されれば、これを履行しなかった場合、再度申し立てを裁判所におこない、裁判所より制裁金を科せられることが可能です。1回あたり5万円程度とされ、これは国へ納めます。更に制裁金の不払いなどが続けば、財産を差し押さえ、強制的な回収が行われます。

 

この面会交流調停は、相手との交渉の1つとして覚えていて損はありません。

但し、欠席や調停に応じない場合、調停なので強制力はなく調停が不成立として審理終了となります。しかし、欠席といった対応では、心証は悪くなるため、あまり得策ではありませんから、一定の効果は残ります。

不安であれば弁護士を頼めば精神的には楽になるでしょう。

 

子供に会えないというのは、自分が他界すれば絶対に会えません。

しかし、生きていれば調停から始まり裁判は可能です。(いきなり裁判はできません)闘う手段はいくつかあります。お互いの落ち度があるにせよ、子供と面会ができないのが認められるというのは、相当の事件性を帯びる話なので、特にそういうことで離婚したのでなければ申し立てしてみてください。

会えないのではなく、交渉して会うために今は会えないと思いましょう。

何度も言いますが、生きていれば会えるチャンスはいくらでもあります。長い目で考えてください。

”生きていればいつか会える”

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単身赴任と思えば?

面会が少ない!とお嘆きのあなた、それは日数ですか? それとも1回の時間ですか?

こう考えてみてください。

月に1回というのは、個人的にはとても短いと思います。離婚前は365日も会えたわけです。当然です。しかし、仕事が忙しい父親(母親)であったなら、帰宅しても子供は寝ていて、仕事が休日でも子供の休日と合わないことも当然あります。

現に私は出張が多く、週に3日程は泊まりがけの仕事で、早く帰宅できた時以外は子供は寝ていました。まだ未就学児ということで、そもそも一緒に過ごす時間も短かい父親(母親)も居るでしょう。

だから、単身赴任している親と思えば、何もおかしいことではありません。

事実はそうではありません。腹立たしい気持ちも分かります。しかし、そうはいっても現実は会えない。それならば、いつか近いうちに会えると思った方が心は穏やかです。

漁師さんや船乗り、海上自衛隊のお仕事であれば、1〜3ヶ月くらい外洋から帰らないこともザラでしょう。そもそも会えません。それでも存在力があるのは、短い時間で密な時を過ごせたからではないでしょうか。

いや、時間が短いからこそ存在力が強いのです。

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短い時間の方が印象は強い!

そうです。短い時間しか会えないからこそ、記憶には強烈に残ります。極端な話、仕事もせずにずっと家に居る父親は、居て当たり前なので印象が薄いと思います。慣れてしまうと当たり前に感謝できないものです。

恋愛している恋しい人と同じで、会えないから会いたい衝動は増します。

そこで重要なのは、必ず会えるという安心感です。

いつ会えるか分からないのでは、単に会いたいだけではなく不安で焦ります。だから、例え月に1回の面会であっても、会うまでの間、色んな時にその父親(母親)を思い浮かべていると思います。

口うるさい母親(父親)のことは煙たがっても、今度はいつ会えるのだろうと想いを寄せる別居の親には、そこまで嫌悪感はないと思いますよ。

指折り数えてその日を楽しみに待つ子供は、きっと面会日は笑顔でいっぱいでしょう。

だから、月に1回であっても何ら悲観することはないのです。むしろ、より絆が強まる切っ掛けだと思いましょう。

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離れていても背中を見せる勇気

側に居ないから父親(母親)の背中は見せられないと限りません。それならば他界した親は何も影響しないことになってしまいます。

何も言わなくても、何をしなくても、子供は見ています。想像もしています。

自分の父親(母親)はこう思っている。こうしてくれる。期待は変わりません。

むしろ、離れている分だけ悪い姿を見せる機会も減るでしょう。感情的に怒ったり、何も買い与えてくれない? たまにしか会えない面会日で、そのように振る舞えるハズはありません。

何も特別な言葉や態度は必要ありません。ただ、普通に接してあげればいい。子供にしてあげたいことを何でも良いのでしてあげてください。

 

私の経験では、一緒にベランダで父親が作った焼きそばを食べる。それだけで子供はとても幸せそうな顔をします。

テレビを一緒に抱っこしながら観る。それだけで満足なんです。普段、何もしてくれない分、思いっきり堪能できるのは、恐らくとても幸福な気持ちなのでしょう。

お散歩すれば、自分から「パパ、手!」となり、「抱っこして」「肩車して」「かけっこしよう」親が何もしなくても子供から要求してきます。

 

一緒に住んでいる時はそこまではありませんでした。慣れると当たり前になり、いつでもしてもらえると安心しきっているので、敢えて求めてこないものです。

だから、パパ(ママ)として、出来ることは全てしてあげれば良いのです。出来ないことは、出来ないと伝えても何ら問題ありません。意外と聞き分けが良くなるハズです。なぜなら、そんな時間はないのです。待ち焦がれていたのだから、もっと要求はたくさんあるので、次々と頼んできますよ。

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寂しいのに頑張る親の姿

別れた後、独り身であれば食事や洗濯、掃除など普段からしているでしょう。そういった姿も見せるべきだと思っています。子供はこう思います。

「パパ(ママ)は何でもできる。スゴイ!」

そうなんです。当たり前のことが凄いことに映るのです。特に父親が母親の役割のようなことをすれば(例えば家事)、それだけで尊敬されます。

恐らく一緒に住んでいたらあまり見せることはないかも知れません。だから、食事や掃除などは高評価に繋がります。これは嬉しいだけではなく、子供への躾としても見せることは大事だと思っています。もちろん手伝ってくれますよ。

 

寂しい想いをしているのは、別れた親ではありません。子供です。
子供は両親が居る事は当たり前です。それが片親になれば、100%寂しい想いをします。その子によって表現方法は異なりますが、心は寂しいままです。

離婚しているので、完全に埋めてあげることはできません。それでも少しでも寂しさを埋めてあげれば、きっと別れた親の心も埋まることでしょう。

むしろ、その埋まりきらない寂しさを子供と共有することで、100%に近い形で子供の寂しさを埋められると思っています。

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細かい事が分からないのは利点でもある

頻繁に会えないことは、当事者にとってとても悲しいことです。親子が離れて暮らすことは、大きくなるにつれ、いずれ訪れたとしても幼い子ならば胸が張り裂けそうになります。

一方で、面会の回数や時間が短ければ、細かく悪い点を見られないという利点もあるのではないでしょうか?

面会時は、親子としてお互いが思い合い、悪い点を見付けることに圧倒的に時間が足りません。

親を幻滅するようなチャンスが少ないのです。

もちろん、悲しいことはありますが、利点もあるのだと思えば、決して悪影響ばかりではないと思います。

 

ピンチはチャンスでもあります。
同居している片親とはまた違った堅い絆を育めると捉え、前向きに楽しさや幸福感や共感力を分かち合いましょう。

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最後に笑うのはやはりコツコツした努力

イチローの安打と同じように、小さな一歩をコツコツと努力したことは、きっと大きな成果になって現れます。

月に1回、数時間の面会でも、子供が成人するまでの間は年齢によって10年〜20年は残されているでしょう。仮に10年としても、120回の面会が可能です。

同居している時を振り返れば圧倒的に足りません。365日の僅か3分の1未満です。10年かけても連続4ヶ月間しかありません。一度に連続で120日間はあっという間です。

子供の成長を見ながら10年に渡って会い続けられるのは、仮に親として他界してしまったらと思えば充分な時間です。

 

私は毎月1回の面会で、1つだけ色んなことを教えようとしています。

自分なりにテーマを持って、「昆虫採集」を教えようや、「車に気をつける」ことを教えよう、「一緒に買い物」をしようなどです。

アレコレは難しいものの、10年で最低でも120個を共有できます。

子供が成人してからは、もっと自由に会えると思えば、希望は無限大です。

私の希望は、他界する前に子供との足りない時間を埋めるチャンスを産み、仮に一緒に生活できたとすれば、それが例え残り1年であっても、別居した親として少なくてもその1年は3倍の価値があります。いや、なかなか会えなかったことを思えば、その時間は何にも代えがたい時間になるでしょう。

 

そのような未来を期待せずに願い、コツコツと出来ることを示していく。

それは同居していても同じです。大記録に向かって胸を張って面会する様は、子供が親になった時、大きな想いとして感じてくれると信じています。

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最後に

ここまで読まれた別居の父親(母親)の皆さんは、私と同じように感じると想像しています。

確かになかなか難しいことではあります。

果たして自分に出来るのかと不安にもなります。

恐らく子供は、私たち親以上に不安で寂しい中で生活していることでしょう。そう想えば全く苦労には感じません。

婚姻時、別れなければならない程、自分達に足りない面があったのでしょう。

そしてそういう親子関係の方が、むしろ良かったと思い最後は笑って旅立てるように、気張らずに真剣に子供と面会することは、何も間違っていない上に、より子供を想える時間を得たとも言えるのではないでしょうか。

そう思いませんか?

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