社会不適合者のあなたへ、人生に絶望したら普通教を辞めよう。

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人生に絶望した人は、夜な夜なインターネットで解決策か慰めの言葉を探していることでしょう。かくいう私もダメだと思っていてもつい検索してしまうことがあります。

自分が社会不適合者と思ったのならば、ある意味でラッキーかも知れませんよ。これからは気を楽に生きられるかも知れません。

現在の日本では普通教が蔓延っています。

良い機会なので普通教から脱し、他人と比べない自分らしい生き方を取り戻しましょう!

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普通とは?

ここでいう普通・・・普通教とは、ある一定の考えが、宗教のように信じて疑わない事柄を指しています。つまり広く常識のことであり、一般社会通念と同義語で私は感じています。

「これは常識だ」という例えはたくさん浮かびます。

  • 例えば躾け ——「子供をここに独りで寄越すなんて非常識だ!」「親が付きそうのは常識だ」
  • 例えば職場 ——「言われなくてもそうするのが常識だ!」「もっと丁寧に扱うのは常識だ」
  • 他にも ——「費用が発生するのは常識だ」「先に○○するのは常識だ」

常識(じょうしき)は、社会を構成する者が有していて当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと。[要出典]また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。

https://ja.wikipedia.org/wiki/常識

しかし、この常識の範囲ってどう定義するのでしょうか?

社会を構成する者の多数決で決まると言ってもいいでしょう。大部分の人が当たり前と思っていることなんですからね。

 

ここで問題なのが、本当に常識ではなく、51%を超える者が常識ならば、例え49%という割合が非常識と認識していても、声が大きい方が押し切る形もあるということです。

もしかすると、その声も何%かは作られた事だとしたら・・・実際は非常識な事柄も常識へ変わってしまうという事になりかねません。

かの国では、100回言えばウソも本当になるそうです。それと似ていますね。

 

仮に人数が多くても、その声が届かないならば、少数派に転じ常識と化していく。

なぜ? そういうことが起こるのかと言えば、利益を得るからです。経済的な得があったり、立場が優位になったり、そういう見返りがある場合、同調する人が一定数居ます。

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同調圧力

ある考えが他人からの物であれば、それはテレビなどを代表するメディアの印象も影響しているでしょう。

バイトテロが問題視されている昨今、不適切動画の店名を間違えたのに、それを拡散してしまったため、全く無関係のお店が風評被害を被る事態が発生しました。

単に誤報です。

メディアを信用しているかどうかもあるものの、仮に違うかも知れないと気が付いても止められない大衆心理も手伝います。

確かにバイトテロは非常に悪質なイタズラで犯罪です。そういった正義感を持つことは良いのですが、普段はそういう正義感が希薄な人も、まるでお祭りのように「そうだ!そうだ!」と同調します。

(※改めて言いますが、悪に対して正す気持ちの連携感は別に問題ではありません)

皆がバイトテロで盛り上がっていることに同調することが問題です。

悪ふざけしている子供が居ても別に気にしない人も居ます。無関心ではなく、そこまで熱くならない人も居ます。それが、それはおかしいと同調することを求めてくるのは、ちょっとどうかと思います。

過剰ということです。

 

他にもこんな例はどうでしょう。

組織のAさんの悪口を聞いた時、個人的にはそのAさんに嫌な事もされていないし、そういった面もあるのかも知れないな程度にしか思わず、あまり関心を抱かない時、同調するように求められると困ります。

だって、あなたの言っていることに同調できませんから。

かといってなかなかそうは言えません。すると、今度はこちらが攻撃される始末です。意味が分かりませんよね。

 

同調するのが普通なようです。個人の意見よりも、ある一定の大きい事柄は同調するのが普通な国だからです。長いものには巻かれろです。

他国でもそうでしょうか?

それぞれ個人の考えでいけば、全員が異なる意見や考え方でも構わないと思います。どうも狭い日本では、皆仲良く同じ考え・気持ちにならないといけないようです。

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社会に適応する?

社会に適応するというのは、大人になるにつれ、ある程度は迎合しないとならないでしょう。仕方ありません。

まさに出る杭は打たれるということわざの通りです。サラリーマンなら尚更です。

 

しかし、例え社会にうまく順応していた人だとしても、すべてを皆と同じように振る舞うことができません。しかも同調を要求されると尚更に困ります。

それがどうしても信条から外れていたとしても、まるで宗教のように「普通はこうだ」という考えを押し付けられます。

確かにあまり深く考えず、同調していれば社会的には楽でしょう。しかし、ずっとそうできますか?

 

あまり社会に適応することばかりを考えるのは本末転倒です。結果的に社会から離脱することになりかねません。

真面目や誠実な人、お人好しや無口な人、そういった大人しい人が割を食います。これは古今東西で変わりは無いことです。

但し、それが度を超していたら・・・?

声が大きい者が正しくなるようでは恐ろしいです。現在はかなり度を超しているように感じます。私だけでしょうか。

損得、優劣

確かに一定の割合でそういう目に遭うことは誰でもあることです。
お金持ちや権力者は昔から居ますし、理不尽なのが世の常です。

ただ、それが貧乏人の中にも、権力を持っていない人の中にも階級ができ、他人より優れている勝負ばかりです。階層が細分化しています。

そしてそれに勝利をすれば、さぁ排除という流れです。

 

これは他人と比べるからということと、経済的にお金を持っている人が偉いといった考え方が広まっているからだと思います。

私もお金はありませんから、何を言われても言い返せません。但し、それはお金だけの話で、他のことでは勝っていることもあると思います。でも、それはダメなんです。経済的な優劣がチカラ関係のほとんどを占めるからです。

あおり運転も同じです。

  • 大きい車に乗っているから?
  • 高級な車だから?
  • 若いから?
  • 年配で権力を持ってるから?
  • 社長だから?
  • 政治家だから?

ある面が他人より優れているから道を譲れということですね。もしくは相手の振る舞いが自分の常識ではなく気に入らないという考え方の押し付けです。

 

損得、経済的な優劣、権力の優劣、いくら競争しなければならないと言っても全員ではなくても良いでしょう。生き方はそれぞれで良いハズです。

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皆が同じ価値観の方が怖い

うつ病のような精神疾患で困ったり、何故かいじめられる人、大きく過失はないのに責められる人、そういった時、本当にイヤになることでしょう。人生が暗く楽しめなくなります。

人生は色々あります。

  • 離婚した。
  • 仕事が見つからない。
  • 病気が治らない。
  • 病気になった。

こういった状況では、心無い言葉というのは堪えます。

それを「だからダメなんだ」とか、「普通はそうしない」「普通じゃ無い」「普通は・・・」

普通って何ですか?

 

離婚して幸せになる人も居ますし、仕事が見つからないからって全て終わりでもありません。病気が治らなくても出来ることはあります。そもそも病気には誰でもなります。

お金が稼げないことは悪だという人は、お金を稼いでいる人のことも金の亡者だと言うでしょう。

病気のことを蔑む人は、病気で苦しむと思いますよ。

 

皆が違う人生を歩んでいて、違う価値観なのが当たり前で、多くの事柄が皆と同じ世の中の方がはるかに怖いです。

常識の定義は、本来もっと狭くてほぼ全員が納得することだけのハズです。いつの間にか常識=普通の範囲が広がってしまいました。そう感じます。

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自分の幸せ

他人と比べないことで様々ことが腑に落ちてきます。

これまでの自分はどうだったのでしょう? やはり他人と比べて生きてきて、他人よりも得したいと思っていたのではないでしょうか。

だから、社会不適合者と烙印を押されることに抵抗感が生まれるのです。

本来誰もが社会に適合して生きています。ただ、それが現在の多くの人とは大きく異なるだけです。

 

経済的に困窮している人は、成功者ではありませんが、落伍者でもありません。
成功してお金持ちだとしてもそれが正義ではありません。
何をして幸せなのかの定義が異なるだけです。

だから、仮に経済的に困窮していたり、病気で思うようにならなかったり、離婚して疎外感を感じたり、独身で居ることに引け目を感じたり、そういった状態で不幸と思うことこそ、他人と比べて優劣を付けているに過ぎません。

 

何かに一生懸命になることは大事です。

努力もしないとダメでしょう。

経済的に豊かになればできることも増えるのも事実です。

しかし、出世するのが普通ではありませんし、結婚することが普通ではありません。子供を産むことだけが全てではありませんし、家を買うことが正義でもありません

そもそも産まれてきたことも普通ではありませんよね。

 

不平等は当たり前のことです。それに腹を立てたり嘆くのは比較しているからでしょう。皆が同じでないと安心できないのが普通教です。他人と違う生き方が生きづらいと思うからです。

本来は他人と違うのも当たり前ですよね。

 

社会不適合者と感じる人に言いたいのは、そうなった時こそむしろチャンスかも知れません。普通教から逃れられるでしょう。同じでなくて良いのです。

皆と違うカタチで社会に適合していくのは、これまでと何ら変わりません。普通でありたいと思うから苦しいのです。

 

個人的にもなかなかできないので、やはり無意識に平等を求めているのだと思います。違うのが当たり前、つまり違うことが普通で常識と思うようにしています。

だから、そういう状況に陥った時、改めて自分の生き方を他人と比べないで自分だけの人生を歩んでください。

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