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生きがいを失った父親がやるべきこと——離婚して子供と会えない

この記事は約10分で読めます。

離婚されて子供との未来がほぼ無くなってしまった父親として、リアルな気持ちをお伝えします。離婚自体は過失の割合はあっても、夫婦どちらも悪いと思います。離婚に至るまではどちらかが余計に悪いことでしょう。それに個人差があり過ぎて一概に結論付けできないものです。

父親が捨てられた側という前提にはなりますが、離婚して別の人生を歩むことになって数年経っても、父子の絆は強まるばかりです。

そんな離れて暮らす父親として振る舞うべき生き方とは? なかなかできないけれど少しずつ実践していく他に道はありませんね。

※この記事では、子供がいるのに離婚された父親側の立場としての想いを綴っています。母親側の意見も当然のことながらありますので、一方的な内容になっていると思います。その辺はご承知のうえにお読みください。

人として

厳密に言えば結婚しても、子供を授かっても、夫婦どちらも基本の人格は変わりません。これは逆に離婚でも言えることであり、普遍的だと思います。しかし、実際には結婚前と違ったり、離婚後に変わってしまったり、そう感じる場面も多いでしょう。

個人的にはどちらも本性だと思います。それは自分も同じであって、変わったのではなくて結婚していた時に変えていた振る舞いだったのだと思います。

これは悪い意味ではなく、結婚後はやはり責任感という物が生まれます。

この責任感は大事だけれど、”結婚したい”、”子供が欲しい”を人生で優先する際、本来の想いや考え方と180度違う言動は無理が出てきます。自分でも想像出来ないくらい無理をしているものです。

これは誰でも同じなので、結婚後にこれまでの色んな想いをどこまであきらめきれるかだと感じました。たくさんは望んでいなかったものの、相手がどうしても譲れない事を、大したことではないと受け止めていると離婚の原因になります。

この辺は男女よりも人としての生き方になってくるため、それこそ個人差があり、結婚前に1つでも理解しようとする気持ちがあるかではないでしょうか。

仕事、社会的立場、お金の使い方、生活の仕方、時間の使い方、健康面(障害や持病)、個人的な願望、など、人として自分がまとっている利点欠点の一切を一旦横に置いたとき、その人を心から愛せるか?

そこには性格であったり考え方といった人の基本部分を、他のフィルターで隠して我慢していないか?ということです。

だから、先程の仕事、社会的立場、お金、健康といった無くなることがある事柄が実際に無くなった時、結婚したのに嫌いになる人が一定数居ます。

 

相手と交わす言葉が間違っていた。言語が違った。そういう印象です。日本人同士であっても意思疎通が難しいと思ったら、それは愛情言語が異なるからです。

こちらの本で実感しました。

相手に理解してもらおうと思ったら読んでおくと答えが見つかると思います。

——実体験——
個人的な経験だと、お金はあまりなく、持病もあり、仕事のキャリアも再構築中の頃、結婚なんて考えても居なかった。それなのに支えるからとほだされて決意した結婚が、病気がぶり返したら相手にもされなくなった悲しみは未だに忘れられません。

「結婚はやはりできない」そう思って相手に告げた時、全力で周りも説得してくれ、精神面で支えてくれ、頑張ってこられたのはその相手が居たからこそでした。だから、何でもしようと本当に一所懸命だったのに、徐々に面倒くさいと思われたのか子供を授かったら、世界で一番だった旦那を世界で最下層に嫌う人に追いやる気持ちが全く理解できませんでした。

今、思えば自分の至らない面は承知していたのに、それを心から許容してくれてはいなかった相手に対して甘えて居たと思います。かといって、別の生き方ができたか?と自問してもできなかったという感想です。

人として一緒に居られると思ったら、相手はそこまでは考えていなかったというギャップが露呈しただけの話です。初めから上手く行くことはないものの、何年一緒でも無理だったのでしょう。自分も足りなかったし結婚相手として向いていなかった。必然だったと思います。

相手を想うだけではダメで、相手に伝わる方法で伝えれば良かった。そう反省しています。

自信喪失

生きがいを無くすというのは、自信が無くなることで訪れます。自信は読んで字のごとし、自分を信じるという意味です。

この自分を信じることができなくなるというのは理解できませんでした。しかし、今は深く理解しています。

私の場合、自分を信じて決めた結婚や結婚生活、そして仕事のみならず人生設計を描き直して家庭を持ったのに、それがことごとく裏目に出てしまったことで、自信を無くしました。

他人に何を言われても自分を信じていたから出来ていたことは、事情を知らない人からすると痛々しいかも知れません。でも、これで良いと信じて幸せに過ごそうとしてきた。それがある日、最大の一番親しい妻が私を全否定した時、反省はするものの、これまで自分が信じていたことが間違いだったのか?とうろたえました。

こうやって自信を無くすと、仕事はもちろん、健康面も、義理親との関係も、全てが上手くいかなくなり、崩壊までとても速かったです。

離婚して数年経つ現在でも自分が信じられなくなり、やはり何も上手く事が運びません。完全に迷える羊になってしまいました。

 

だから、自信を無くすということは避けなければなりません。そのために必要なことは、例え配偶者であっても我が子にしても、親や兄弟の家族、仕事の仲間や人生の先輩など、関わる人に全く関係なく自分だけは絶対に自分を信じてあげないとなりません。

生きがいを失うということは、自信が無くなったことが先だと思います。

逆に自信さえ取り戻せば、生きがいも見付けられて、出来事も良い方向に回り出します。それが幸せに繋がります。

元を辿れば自信のみ

色んな哲学書でも述べられています。自分にしっくりくる言葉で書いてある本はあるはずですから読んでおくのは無駄ではないと思います。

合う合わないはありますがこの本も助けになりました。

自信を取り戻すのには時間も掛かります。慌てずに焦らずに、1つずつ自信を深めていくことが結果的に近道です。

  • 好きなことはなんですか?
  • 少しでも優れている(できる)ことはなんですか?
  • 自分に対して何をしてあげられますか?

こちらの本のようにゆるく考えて自信を取り戻しましょう!

離婚後の子供との接し方と生きがい

前置きが長くなりました。

では、子供に対しての想いを初め心に渦巻いている想いを昇華させて、離婚してもなお父親として接してあげることはどうしたらいいのでしょう?

正直なところ的確な答えはありません。何故ならケースバイケースが多いからです。あくまでも私個人の行き着いた想いです。そういう経験をした一つの答えと捉えてください。

悩むのはそれを求めているから

客観的に考えれば理解できることも当事者となるとなかなか分かりません。

子供に会いたいのは当然としても、現実として会えても何も希望は叶えられません。だから、むしろ会えない方が父親として振る舞えると逆説的に思っています。

子供に「一緒に帰ろう」そう言われたこともあります。でも答えられない。テキトーなことも言えない。「パパと一緒に寝たい」「パパと明日○○へ行きたい」何を言われても出来ないことばかりです。

 

実際に悩んでいるのは子供に父親としてどう接するかであって、子供との生活ではありません。離婚前であれば何気ない会話も、離婚して離れていると子供も遠慮しますし、親としても遠慮して言えない事柄が多くなります。

でも、それって元妻とやり直して子供との生活を望んでいる悩みなんですよね。

本当にやり直せると思いますか? 苦しい中で下した結論が離婚でした。半ば仕方ないあきらめです。だからもう子供との未来はあの時の延長線にはありません。別の未来です。

 

これからはあの頃の延長線は望まないことが正しいと思います。もう戻れない。家族ではありません。

であれば、別の未来で別のカタチで別の父子関係を、自分にしかできないやり方で実現する方が現実的です。

 

私は、離婚されて月に1回の面会でも父子関係を強くしたい願っています。それは離婚前には自分でも全く理解できない考え方です。でも、それしかできない状況なのです。

具体的には子供の躾けをあきらめました。面会時間からして遠くへも行けませんから、近場で遊んであげることにし、旅行などもあきらめました。全く新たな関わり合いを一から構築していくことにしました。

特に躾けに関しては分かり易いと思います。

毎日のように少しずつダメなことを教えたり、新しいことを教えたり、時間をかけて一緒に何かをするという行動が一切取れない中では、躾は成立しません。これが実感です。

なにせ、毎月子供と会う度に、前回の面会やこれまでの面会の出来事や教えたことを約8割は忘れています!(年齢が高ければそういうこともありません)

 

以前のような子供との家庭生活を望んでいるから悩むのです。

自分からの躾はあきらめました。どんなに躾がなっていなくても離婚のせいもあるので子供を責められません。少なくても他人への配慮だけは教えていきたいとは思っています・・・がなかなか難しいですね。

一緒に暮らしている家族という状態をあきらめれば悩みは多少減ります。そのためか期間限定の月1回だけの父親を続けることに自信を持ち始めてきました。

接し方

甘やかすのはどうかと思いますが、離れて暮らしていれば甘やかすしかできませんね。考えてもみてください。甘えてくるのは、本当に甘えた生活ができていない証拠です。子供は甘えたいときに充分に甘えさせてあげないと大人になってから困ります。

普段の生活で子供なりに苦しい想いの中で生きているハズです。学童保育へ行かなくてはならない現状や、体を使った本気の遊びが月に1回しかできないのは、垣間見ることができない生活を想像すると悲しくて堪りません。

子供への接し方として夫婦が揃っているよりも以下を注意しています(未就学または小学生の場合)

  • 甘えさせてあげる
  • いつも笑顔で居る
  • 離れて暮らしているだけの態度で接する
  • ダメな物はダメのようにYESとNOをハッキリさせる
  • 子供の言動を否定せず肯定する

 

惨めだけど堂々とすることも大事です。つい、世間的にも憐れな父親に映ってしまいます。特にご近所では。

しかし、そこは逆に堂々と親子で居ることが子供のためになります。

ここは父親として頑張って堂々と振る舞ってください。開き直りで良いと思います。何が悪いんだ。親子は親子です!ってね。子供の為と思うと、一緒に暮らしている父親の時と何ら変わりなく過ごせます。

これからの生きがい

生きがいを失った後、働いたり働けなかったり、病気になったり、お金があったり無かったり、そういう人は多いと思います。

特に家庭を持ち、子供との未来を楽しみにしていた父親としては尚更に生きがいを失うでしょう。

子供だけが生きがいでは確かに困るのですが、一緒の生活の延長線に子供との関係も生きがいとなっていたことは事実です。

その生きがいの一部である親子関係が通常通りに取れなくなった時、他の生きがいに活路を見出すしかありません。小さなことでも生きがいを見付ける必要はあります。

個人的にはまだコレというのは見つかっていません。惰性で生きているだけです。

しかし、小さい生きがいは1つだけできました!
それは子供と月に1回面会するにあたり、次は何をしようと計画してその日を迎えることに小さいながら生きがいを感じています!

  • 喜んでくれるかなー?
  • 準備万端にして貴重な面会時間を目一杯使おう!
  • 最後は疲れて眠くなるくらいに笑わせよう!

これも立派な生きがいになります。そのために一ヶ月色んな苦しいことに堪えられると思います。

子供と会えることはラッキーなんだと思い、とても素晴らしい時間なんだと子供と共有できるのは、一緒に暮らしていたらなかなか味わえません。

それでも離婚しない方が良いのですが、現実は仕方ありませんから、せめて離婚した父子の中では幸せになろうと思っています。

最後に

離婚してしまい、子供となかなか会えない父親の皆さんへの記事でした。

生きがいを失った父親がやるべきことの一つを体験談からお伝えしました。それは、

「 面会交流を素晴らしい時間にして子供と幸せを共有すること 」

これはどの父親でもできることです。

唯一、死んでしまってはできません。会わないと拒否していてもできません。面会だけはできる状態ならば、それはこの日本ではラッキーなことです。(おかしいけど)だから、せめてその時間は父親よりも苦しいであろう子供のために、とても楽しい時間を提供してあげてはどうでしょう?

少なくても個人的にはこれで子供の心はガッチりと掴めています。これも子供が大きくなればいつまで続くのかは分かりません。いずれ反抗期を迎え嫌われ疎ましく思われ、悲しくもなるでしょう。でもきっと子供の為になると思います。

 

その親にしてその子ありですから、惨めな親には惨めな子とされてしまいます。色んな意味で強い父親としていつまでも接してあげたいですね。

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