結婚、子育て、病気、そして離婚。家族ってなんだ?

親子おんぶ 離婚して悩む

結婚は人生の大きな節目です。これまで結婚したいと思った異性に何人出会いましたか?

結局、結婚まで決断しなかった恋人と結婚した恋人と何が違うのでしょうか。

よく縁と言います。

結婚をすることになった縁、そうならなかった縁。

縁があっても上手くいかないのが人生です。

破談、離婚となると、それは縁が無かったと言います。しかし、上手くいっている間は縁があったと喜びます。

 

そうです。縁も結果論であって、タイミングや環境が影響を及ぼします。

  • 適齢期だった。
  • お互いが結婚という形を望んでいた。
  • 周りの薦めもあった。
  • 他に相手が見つからなかった。
  • 経済的に利点があった。
  • 簡単に言うと「ちょうど良かった」
  • 本当に愛していて離れたくなった。これが皆が思うことです。

そこには愛があったはずです。

「好き」という感情から「愛している」という最上級の好意を抱いたのです。

それ以上の表現がなかった。だから誰よりも1番だった。

その愛も本当の愛だったのか。

いや、愛を育んだのか。そのようにお互いに努力したのか。

 

恐らく、離婚するカップルというのは、愛はあったが、二人で育めなかった。どちらか一方が相手に依存していたり、相手への思いやりの温度差が大きかった。

考え方が違う他人なのに同じ価値観を求めたということもあります。

習慣や考え方をいかに妥協して相手に合わせるのか。それをお互いに少しずつしなければなりません。これは愛があっても難しいことなのでしょう。だから離婚する人が後を絶たないのです。

 

これが子供ができて子育てが始まると更に難しくなります。やはり両家の家族も関わってくるからです。これらも夫婦がお互いにある一定の方向性を定め、流されない考え方や決めごとを二人だけが理解していれば良いので話し合う事が必要です。

 

そもそもすれ違いの生活では話し合いも持てません。初めは少しの食い違いが、毎日の生活の中で大きなズレになり、亀裂を生じさせます。

そして修復不可能になった時、相手を憎み、忌み嫌い、離れたく、言葉も交わしたくなくなるのです。

 

また、病気やケガも同じことが起こります。

夫婦のどちらかが病気やケガに悩まされ、今まで以上に愛の結束が必要なとき、相手を思いやる気持ちをもっと強くしなくてはなりません。

  • なぜこんなことに?
  • なぜこんなツラい?
  • なぜこの家族だけ?

こういった感情が沸いてきたら注意です。それは本当にそう思うことなのでしょうか? 生きていてこれからの未来を思えば、今だけかも知れません。仮に将来に渡り悩むべきことだとしても、それを独りでは無く夫婦で背負って受け入れて生きていけばいいのです。

しかし、離婚するカップルは、自分独りで悩みます。本当はどちらに起きたことも夫婦の問題なのにです。もちろん、個々がしっかりしていないと夫婦は成り立ちませんが、様々な問題を独りで解決するならば、そもそも結婚する意味も役割もありません。

結婚したからこそ、独りでできることも夫婦で話し合って解決する義務があるのです。

 

好きは嫌いの始まり

嫌いは好きの始まり

 

どちらも正反対になる可能性を同等に秘めていると思います。

あんなに好きだったのに、あんなに愛していたのに、あんなに子供のことを考えていたのに、あんなに家族のために仕事をしたのに、あんなに相手が必要だった。

そんな想いとは裏腹に、好きが徐々に嫌いに変化していく。

話し合うことで嫌いが徐々に好きになることも同じようにあります。この相手の○○がイヤだ。それが時間を共にしていると徐々に許容していき、徐々に愛おしく感じることがあります。

だから、嫌いになったことは否定せず、相手に伝え、どうしたらまた好きなるのかをお互いに話し合い、前向きに未来に目を向けましょう。結婚したのはあなたであって他の誰でもないのだから・・・。

 

離婚というのは、この世のどの武器よりも強いように感じます。

なぜなら、最大限の大好きが最大限の大嫌いに変わるのです。運命を共にして時間を共有してきた相手と全く違う道を歩むのです。もう人生で交わることがないかも知れません。

ついこの間まで、仲良かったと思っていたのに。

写真がすべてを物語ります。写真の中には離婚の二文字が全く感じられない顔が、家族が写っています。小さなすれ違いが、もう一緒に写真に写ることができない関係を作り出しました。

  • 家族って何だろう?
  • 自分の親家族はすべて乗り越えてきたのだろうか。
  • それとも運が良かったのか。
  • そもそも初めから無理があった家族だったのか。
  • 途中で何かあったのか。

夫婦に翻弄される子供は不憫に思います。両親と暮らせず片親になった。しかも親の都合で・・・。

もちろん、”親は無くとも子は育つ”と言われるように、子供の可能性は否定できません。それぞれの人生を生まれ持った環境で生き抜くしかありません。不憫でもなければ何も恐れる必要も恥を感じることも必要ありません。両親が揃っていても不幸な子供はたくさんいます。

でも、仲の良い幸せな家庭を築くために結婚し子をもうけたのに、離婚して別々の道を歩む羽目になるのは当事者も周りもやはり幸せではないと思います。

 

伴侶が死別した方もまた同じではないかという人もいます。しかし、仲の良い幸せな家庭のまま死別したのならもちろん、そうでなくても本人達の意思とは別に突然いなくなるのですから、それは生きていると同じことです。だから、心の中で生きていると胸を張って言えます。

離婚はどうでしょうか? 心の中ではなく、すぐ近くに、またはこの日本に、この現代に別の場所で生きています。決して交わることのない人生を。

 

「パパ、一緒に帰ろう!」

その言葉に、本当の意味で返す言葉が見つかりません。ごめん、と言えば「なぜ?謝るの?」

そうですね。

いつか生きること、人生を楽しむことを子供達と話し合えたら、また家族と言えるのかな?

 

家族の定義は血縁関係だけではありませんね。
一緒に居たいと思う人と心が通っているのが家族だと思います。

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