モノを減らすと悩みが減ります。”普通”という宗教を辞めて楽になった。

夕日 ストレスを受けて悩む

悩みが絶えない毎日を送っています。
モノを減らしてでも何がどうでもストレスを減らしたいと思っています。
ここ数年、ミニマリスト、断捨離という言葉も定着しまして、人に伝えるのも楽になりました。
これらを実践してだいぶストレスが減りましたので、ご紹介します。ご参考になれば幸いです。

生活をシンプルにミニマルにすれば本当にストレスが減るのでしょうか。断捨離本、ミニマリスト本をいくつか読んで考えて理解し実践してみました。

 

雑念が多い世界

現代は悩みが多い世界です。これは日本に限ったことではないでしょうけど、日本は特におかしなことが多いストレス社会になりました。もっと自由でいいのに、雑念が邪魔して時間が足りないと感じます。時間が足りないから心にも余裕が無くなる。結果、イライラして自分も他人も傷つけるように思いませんか?

 

雑念が多いというのは、それだけ考えるモノや事柄が多いということだと思います。
それは仕事のことも家庭のことも、地域のことも、趣味であったり、人間関係は元より、あれを買うから調べる、あれをするから調べる・・・。お得なことは皆そうしたいのは山々ですが、他の国から見たら可笑しいですよ。

 

例えで分かり易いのが、ポイント!
Suica、nanaco、WAON、Ponta、Tポイント、クレジットカードのポイント、dポイントなど携帯のポイント、商店のポイントカード、家電量販店のポイント、一体いくつのポイントがあって、これを所持してどれだけお得なのか??
無いより有った方がお得なのは分かりますし、私もいくつか使って得しています。しかし、これ、外国の方から見ると意味が不明みたいですよ。

 

アメリカ人(全てではない)に聞くと、テクノロジーとしては感心されても、で、有っても使わないだろうと言います。面倒だということは当然ですが、自由な国としては使うのは自由だけど、ここでは何々ポイントは使えないというのが理解しようとしません。興味がある人は別にしても、クレジットカードで払えるかどうかの方が問題で、現金しかダメとか日本は多過ぎで困ってます。
合理的な国ですから、あまり限定的なサービスには興味がありません。

 

唯一、Suicaだけはベタ褒めですね!

都内を中心にカード一枚で移動できてジュースも買える。これはどの国も欲しいでしょう。ま、アメリカの場合は電車はあまり関係ありませんからアレですが、とにかく日本に滞在するには便利この上ないとのことです。

 

脱線しました・・・。
要は、日本は小さい国土に細かいサービスが有りすぎて考えるのも面倒だということです。
支払い方法やポイントよりも、何を買って何をするかの方が大事ではないでしょうか。
私は個人的にあまりポイントは好きではないので、唯一WAONだけ使っています。あとは「ありません。結構です」で支払いしてます。

 

モノを所持して錯覚していた

親からモノを持て」とは教育されませんでしたが、なんとなくそんな雰囲気の時代を過ごしました。恐らく親世代がモノを持てなくて働いて手にしてきた時代を過ごしたからでしょう。ここ何十年もそういった社会ではありませんから、なんとも羨ましいというか、良い時代だったんだなーと思います。

 

その親世代は、壊れたら修理するという面と、新しく買えば良いという2面性を持っていました。収入格差もありますが、概ねモノによって買い換えか修理かだったように思い出します。
そういう風な生活ですと、私も勿体ないなと思いながら買い替えたりしてきました。また修理というのも今より一般的で、よく友達と「今、修理中なんだ」という言葉も使いましたっけ。現在はメーカーが修理を歓迎しないので、買い替えた方が安い価格になっていますね。

 

家電製品は特に所有感が高く、便利なだけではありません。出来なかったことが出来るという想いがありました。ただ、歳を重ねて、地道にやれば他の手立てもあるから、何も機械などに頼らないことも素敵に思えてきます。

修理という行為で愛着が沸くこともそうです。特に自動車やバイクはそうです。新しいのを買い替えるにはあまり安くない。だから多少の金額で直す。それもあまり良くは直せなくてもです。完璧を求めると新品しかありませんが、愛着が沸くと手放したくなくなります。
モノを所持して得た経験というのは、そのモノを持っていなければ恐らく経験しなかっただろうとは思います。

例えば、自動車が無ければ電車か徒歩かバスですし、ウォークマン(古い!)が無ければ他のことしながら移動したでしょう。
こういったモノを手に入れると何か全て経験したかのように錯覚してきました。逆に言うとモノが無ければ経験できないとも思っていましたし、経験しなければならないという観念もありました。
実際はモノを持とうが持つまいが、経験したいことは出来るし、出来なければ出来ないことを経験できます。そういった根本のことが分からなくなっていました。少なくても私はそう思います。

普通の家庭(生活)って何?

これら一種の強迫観念みたいなものはなんでしょうか?
恐らく今の中高年は経験しただろう「普通は・・・」「皆が」といった考え方が影響していると思います。現代の若者も同じでしょうか。垣間見るにあまりそういった考えよりも自分がしたいことをするという方が多いように思いますが、そうでもないでしょうか。

この「普通は」という考えは深くて、ある一面では多数決の論理もあると思います。大多数の意見が尊重されてしまう民主主義だからということと、自分も皆と同じにしたいという平等感が影響しているでしょう。平等感といよりも不公平感を無くしたいということでしょう。
不公平は現代に蔓延ってます。

 

例えば、学校行事で主役の白雪姫が何人も!?
運動会でリレー(かけっこ)では3組しかないのに、1位〜3位までメダル? ヒドイ所だと、何位であってもゴールテープを切るとか、一緒にゴールとか(笑)
我々の世代からすると最早お笑いのコントです!

格差社会で、競争原理から弾かれると可哀想といった弱者救済?のために皆が平等で、という教育が始まったからでしょうか。何となくそういった社会になったので気が付いたらビックリといった感じで詳しくは分かりません。

 

きつねの写真

 

誰もが同じレベルで同じ生活をしていると安心するといった考えです。裏を返すとこれは共産主義と同じですからちょっと怖い思想ですね。

そもそも人は不平等で産まれてきて、不公平な世の中で戦って自分の居場所を勝ち取るものです。人数が少なくなれば、それは逆に容易くなりますから、少子化であれば確かにそれでもいいと思いますが、社会に出れば年齢も関係なく競争です。少なくても今の第2次ベビーブームの世代が居なくなり、日本の人口が戦争前程度の7千人くらいになれば通用すると思いますが、現時点では早計でしたね。

 

北欧など福祉が発達している国って人口が少ないですから成り立つのだと思いますよ。アメリカは国土が広いこともありますが、3億2千万人では国民皆保険も通用しない格差があります。インドや中国なんてそれぞれ13億人以上いるわけで、格差なんて当たり前ですし、法律も何も監視できないレベルだと思います。
日本の場合は、恐らく1億人を超えた辺りから不公平感がなんとも可笑しい世の中なんだと推測します。

普通という言葉は誰にでも当てはまるものの、当てはめなくてもいいとも思います。平均的でなくてもいい。逆に平均的でもいいはずです。親世代、そのまた前の世代が普通の生活を望んで頑張ってきた歴史があり、今もそれが根付いているということでしょう。
もう現代は必要ありません。それこそ欧米のように自由に思うように生活して良いのだと思います。

 

欧米の考え方と日本人特有の日本教

こういった日本独特の考え方って、何か宗教のように感じます。
そうしなければならないといった強制力というかプレッシャーが働いていますね。

大学に行って卒業しても普通?で退学したら普通じゃ無い?
結婚出来なければ普通じゃ無く変わり者?
結婚しても子供を授からないとおかしい?
結婚しても離婚したら人格が普通じゃ無い?
仕事を辞めれば情けない?普通は辞めない?
1回の転職なら納得されても度重なると普通じゃ無い?
それなりに重い病気になったらお金に困るから普通の生活が望めない?

全てに反論しても無益ですね。
得てして成功している方って普通じゃ無いから成功しているんですけどね??

 

私も変人扱いされていますので、よ〜く理解しているのですが、皆は普通で変人とは全く逆の人でしょうか?
変わった人=皆そうなのでは?
批判されて思うのが「あなたも充分に変わっているけどね」と言いたいです。
皆、個性や生きてきた歴史もありますから、歳を重ねる度に変わったことになるのは当然だと思います。
それを小さい頃は差がないから、普通に当てはめますが、そもそも幼子でもかなり違います。そのまま良い所を伸ばす教育になったらなーと思います。

モノを持つことも同じだと思います。
人と違うモノを持ったら恥ずかしいという考えがどうやらあります。
むしろ海外では、人と同じ物の方が恥ずかしいですし、そもそもそんなことで恥じることもないのですが・・・。

人の目を気にするのは村社会の日本という国の問題です。侍の時代背景もありますし、一言では答えはないのでしょうが、日本独自ということは言えます。
まぁ、恥を重んじるから美しい国でもあるので、どちらか一方だけではダメだと思います。
ただ、少なくてもモノを持つ程度のことで他人と比べる必要もありませんし、同じ行動をしなくてもいいとは思います。

 

資源が乏しいから大事に

モノを減らすということはエコの観点からも素晴らしいと思います。大量生産大量消費が叫ばれ、使い捨ての商品が増えて、あまり大事にしなくなるのも頷けます。逆に高いモノを大事に使うことをすれば、消費活動もそれほど落ちずに、モノを捨てることも減ると思いますが違うでしょうか。
日本は他国に比べても資源が乏しい国です。また技術は高いし、国民の素養も高い。道徳心も他国に比べればかなり高い民族です。

そういった国だからモノを減らしてストレスがない社会を作っていても不思議ではないのに、こうも煩雑な社会になってしまうのは、これも国民性なのでしょうか。ちょっと日本人として疲れてきました・・・。

モノを減らすには手に入れる時に考えよう

捨てる・手放すを実践するのはルール作りから始めるとスムーズです。
別に堅いルールは要りません。自分なりのルールで構わないのです。
私はゆる〜いルールを設けようと思います。

買う前に頂く前に、これは現在持っているモノの何と被るのか、どう使うのか、を考え、使うと決めたら使い倒す。1ヶ月、半年と期限を設けて、やっぱり使わないやとなったら未練なく処分する。

非常に曖昧で緩いルールだと思いませんか?
ちょっと自分でも情けないルールですね。でも、こういったことを始めに考えれば、この後が楽です。あまり未練を残さずに処分できます。
そういった約束で手に入れただろう?という考え方です。

 

例え高価であっても、例え安価であっても、モノとして捉えてどうするか予測して手に入れていこうと思います。
人から貰ったモノなどは申し訳なくて断れませんから、一旦は有りがたくいただいて、使うならそれでいいし、使わないなら、これまた申し訳ありませんが他人に譲るか売り払うかしています。
様々な本にも書いてありますが写真として残したり、手帳に記録してから処分すると罪悪感も確かに減ります。お試しあれ。

資源が乏しいのは懐具合とも言えます。お金(資源)が乏しい人生ですから、貴重な僅かな資源から一番欲しいモノを大事に使った方が心は満足します。
資源が豊富な方はバンバン高いモノ買ってもいいと思いますよ。数は抑えた方がいいとも思いますが・・・。

老後に困らないために

年金だけで暮らせるという老後は、余程の預貯金があるか定期的な収入がないと見込めない世の中になりました。
長生きすればそれだけ必要なので、いくらあったらいいということでも無さそうですね。

ただ、ミニマムな生活をしていれば、限りある預貯金と年金だけでも充分に快適に暮らせると思います。
少子化に伴い、第2次ベビービームの世代が65歳を超えると、世の中は若い方が極端に少なくなります。当然のことながら税収も消費も減ります。年金世代が頑張って遣うとしても格差が今よりも開いているため、ほとんどの老人は遣わない生活を強いられます。消費は確実に減りますね。

人が少なくなれば全てがコンパクトに収まらないと余計な経費や余計な時間がかかります。
その時から急に質素倹約に励んでもストレスが多くなるだけでしょう。
今のうちからそういう時代が来ても困らないように淡々と持たない暮らしを続けてみてはいかがでしょうか。

受け売りですみませんが、ミニマリストや断捨離の諸先輩方が伝えている内容を私なりに咀嚼して本当だなーと思うことを改めて書きます。

 

モノが少なければ、お気に入りで愛着が沸いた品を大事に使える。
モノが少なければ、掃除やメンテナンス、探す手間などが減るため時間が増える。
モノが少なければ、狭い空間の住まいでも充分に快適に生活できる。
モノが少なければ、今よりも出費が減るため新しい経験に時間とお金を使える。

 

人によってはまだあるでしょう。私はこんなところです。
特に時間が増えるという感覚は初めて本を読んだ時には理解できませんでした。
しかし、確かに掃除するにもあまり計画しなくても良いですよ。思い立ったら掃除できます。何せモノが少なくなり掃除の手間が減る=時間が短いため、面倒とも思わなくなりました!

こういったシンプルな生活で得た何かを何に使うか、何を考えるかは、それこそその人次第です。答えはありません。
ただ、モノが多い生活に比べるとかなり煩雑なことは減るため、きっとストレスが減ることは実感できると思います。

 

モノに囲まれるのはある意味で素晴らしい経験です。手に入れたモノが多くなったからモノを少なくしたいという欲が生まれました。
断捨離する、ミニマムに生活する、というのは恐らく一旦はモノを多く持ち過ぎないと望まない生活かも知れません。
これまた贅沢な欲です。モノが有るのに減らすのですし、今後は数で消費活動に参加しないということですからね。

本にはよく「なりたい自分になる」と書かれています。
こういった考えはちょっと飛躍し過ぎとも思いますが、確かに1つ拘りを持ったり、ある道を究めようとしたら、時間が足りません。他のことをしている暇はないと思います。

多くの時間を使ったからこそ成し得ることだと思うので、細かい欲望をどれだけ抑えるか、それが出来る方は自然とモノが増えないかも知れませんし、増えても割り切れるのかも知れません。
私は欲に溺れた凡人ですから、目の前からモノを減らさないとなかなか出来ないです。ですから、こういったモノを少なくという考え方に共感できるのでしょう。
強制的に雑念を払うといった感じです。

 

蓮

主に実践したこと

  • 洋服は吟味し整理できました

→冬・夏・大物、下着をそれぞれタンスや収納を1つだけと決めました。使わない生活用品を市町村の処理施設に持ち込みで捨てました

  • 現在使っているモノだけにして1週間で触らない食器、棚類、家具、機器を捨てました
  • 身の回り品は1つ、モノによっては2つまでと決めて買い取りなどで処分しました。

→例えばハサミは1つ。靴は種類により1足(スニーカー1足、革靴1足、サンダル1足、冠婚葬祭に1足)パソコンは1台だけれど、故障する確率が高い外付けHDDは2台、腕時計はオンオフで計2本、ライターはZIPPO1つのみ

  • 本は何度も読んだ本で更に読むものだけ残してあとは処分しました。

→300冊→30冊へ。ほとんどをオークションや買い取りへ出して3万円にはなりました。ここから更に吟味中

最後に

確かに雑念は減り続けています。所持するモノや片付いていないモノが多いと、あそこを掃除しなくては・・・、というような余計な心配も減ってきました。モノが無ければそのモノについて考える時間も必要ない。時間どころか何にしなくて良いのが楽です。

少しずつではありますが、心に余裕が出てきました。

次は心に余裕が生まれたので、新しい経験をすることです。
旅行したい。ハイキングやキャンプにも挑戦したい。何かの行事・イベントに参加したい。
主に身体を使った経験をしたいですね。

皆さんは、煩わしいことが減ったら何をしたいですか?

最後までお読みいただきましてありがとうございました!

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