離婚後に子供と別れたらあきらめないであきらめる

離婚

子供との生き別れは決して諦(あきら)めることはできません。

ただ、それだけにしがみついて戦おうにも、その体力も精神力もなく、何も叫んでも無視されれば何の親権もなければ口出しもできない。ついこの間まで家族で親子だったのに、こうしなさいと伝えられない。こうしようねと約束できない。

なんとも歯痒く、そして虚しい。

そんな想いの離婚された側の立場の方、こんにちは。

子供とのことは割り切れましたか?まだですよね。これからできそうですか?

 

その気持ちは独りよがりな考え?

子供のこと、あきらめらないから今までもこれからもずっと何かを要求していきますか?そして、それは少しでも相手に聞いてもらえましたか?

もしも聞いてもらえ、子供の事だけは元夫婦として話し合えれば人としてはお互いにまともなのかも知れません。

利害関係がなくなっても尚、子供のことを自己犠牲の下に話し合い行動する。それが本当の親子愛や家族愛かも知れません。しかし、悲しいかな、離婚して利害関係が無くなると、捨てられた方は相手にされません。

ひどいのは結婚していたその事実さえも嘘か幻か夢のように感じることがあります。子供が幼い場合は尚更です。夫婦が協力していた部分は物心が付く前です。覚えていないというか知りません。

 

子供には罪はありません。気が付いたらパパママが揃っておらず、片親の元、なんで?という疑問しか残らず、会えるなら何故一緒に暮らせないのかも理解できないでしょう。

あきらめられないと思うことは本当に子供のことでしょうか。実は、前の家族との未来を望んでいるからあきらめきれないのかも知れません。

今となっては「一体、どうしたい?」と聞かれても答えに詰まります・・・。

子供を育てたい。側に置きたい。寝食を共にしたい。

全て復縁しないと叶わない願いです。しかし、復縁はこちらとしてもできない相談です。意地ではなく、仮に万が一、復縁したとしたら、この苦しみとこの期間と、相手の気持ちは何だったのか、全く意味不明になります。支離滅裂。

事情はどうあれ、離婚された。元には戻れないうえに、相手から三行半です。もしかしたら新しい相手が家庭にいるかも知れません。離婚したその日から人生はまた重ならない方向へ進み始めてしまったのです。

子供のこと、どうこうしたいのはお互いに人としてのエゴだと思います。

 

子供の目線で考えると、両親が揃っていることは最大の希望であっても、それはなかなか許されないことです。その次に叶えられるのは、片親と別れても会いたい時に会えることではないでしょうか。今までと変わらぬように甘えたり相談したり、喧嘩したり、当たり前の関係を築けることは将来に向けて無駄ではありません。

離れ離れになった側の親としては、悔しいけれど、別の家族として、血の繋がった父親(母親)としていつまでも気に掛けていることしかできません。

 

山

「心を寄せよう」

今上天皇が東日本大震災に発言した際、これからも心を寄せますという言葉が深く綺麗な日本語だと感じました。それから子供に対してこの気持ちで過ごしており、離婚後は正にそのままです。

逆に言うとそれ以外に何もできない・・・。何もではありませんが、こちらからしてあげたいと思うようなことは悲しいかな聞いてもらえません。

だから、子供達よ、心を寄せよう。

実質的に何もないかも知れないけれど常に考えているよ。見守っているから、思い切り生きてごらん。近くに居なくてもどこかで見ている。センチメンタルな気持ちではなく、実際にそうなのです。だから、何も格好付けていることもなく、自然体でそう思います。

一緒に住んでいてもなかなか心を寄せていることを続けるのは難しいでしょう。別れていないだけで充分に役目を果たしています。様々なことから多忙な親は、一緒でも子供と向き合えないこともしばしばです。これが普段一緒に居ないのは余計に何も分かりませんから、面会しても自然体が難しい。

 

今までどのように接していたのか自分でも分からなくなります。子供の前では泣き言も言わず、変に怒らず(叱りますが)、何でも言うことを聞くような甘やかしもせず、一緒に暮らして側に居るのと変わらないように心を寄せ続ける。

子供の気持ちを理解はできませんが、理解しようと努めることが責任だと思います。

お金はあった方がいいに決まっています。しかし、お金ではない部分を与えないと、ただの金づるに過ぎません。スポンサーです。それは実の親でなくても出来ることです。

 

死ぬ前に子供にお礼を言われたり看取ってもらえる方は幸せです。もちろん、それを見返りとして望んでいることは決してありませんが、羨ましいです。子供に対する対応次第で、最後を知ることもない関係になるかも知れません。これは家族であってもそういう人生の方がいますので、離婚したから絶対ではありませんが、確率としてはそういう末路になるでしょう。

それでも心を寄せて、そして自分は子供達とは全く違う人生を歩まなくてはなりません。

離婚したいと想っている方、思いとどまった方が賢明です。夫婦でそういった未来も視野に入れて話し合って解決できるといいですね。

 

私事、

私の例をお話します。

うちの子供達はおもちゃに目が有りません。しかし、生き別れた現在は、モノを欲しがりません。身体を使った遊び、ベタベタと抱っこやら手を繋ぎたい。回り回って本来の子供の姿が逆に痛々しく感じます。

現在の生活がどうなのか知る由も有りませんから憶測ではあまり言えませんが、片親になってから甘えたくても甘えられない。また兄弟で片親を奪い合うのだろうと想像します。

夫婦が揃って子育てしても大変なのは昔から変わりません。それが片親ですから育児の負担は2倍です。

それでも尚、離婚を選んだのは相手と一緒に暮らす方が何倍も嫌だからです。事情は様々であっても、いくら喧嘩しても、最後に離婚しては水の泡です。何の為に頑張ってきたのか最早何も分かりません。

 

子供を授かるまで一緒に暮らしてきたのに、一方的に顔を見るのも嫌になるとは、こうも手のひら返しだと人を信じることができなくなります。私の場合だけかも知れませんが、互いに落ち度があって、変な意地を張り離婚まで行き着きました。

子供を引き取った側の親や兄弟の外野が離婚を勧め、止めず、甥っ子、孫として可愛がることができるが、捨てられた方は孫も跡取りもなく、実家は私で終わりです。

お金だけ要求され、それは義務だ、当たり前だ、何の見返りもないのに責任だとされ、何故か母子家庭は父子家庭と違い、手厚い税金の保護を受けてお金が無いというのに貯金や旅行ができる世の中です。

 

子供を引き取りたかった。大変でも子供が居ればそれはチカラも沸くでしょう。

別れた、別れを押し切られた、見捨てられた、そういった憐れな立場もまた違う意味で大変なのです。新しい目標がないと生きていけません。

別れたからといって、子供をあきらめるのは間違いです。これはハッキリと言えます。

しかし、実際には何もできません。お金を負担するだけです。

だけど、決してあきらめないで、日々の生活や過去はあきらめるというのが正しいと思います。

半ばあきらめないと落ち込んで生きられなくなります。子供は落ち込んで老け込んだ親は見たくないでしょう。

明るく、いつ会っても変わらず心配して助け、話をして色々な経験をさせてくれる親でありたい。

その方が難しい生き方だけど、それしかできないから、そうしています。

Not Give up!and GiveUp !

皆さんは、どのように別れた子供との想いを消化、転嫁していますか。是非、アドバイスがあればいただきたいと思います。

少しでもこの記事が救いになればと思います。

 

コメントをいただきました!ありがとうございました!

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