離婚後に子供と会うのを諦め執着を断ち切り未来を引き寄せる

離婚と子供との面会離婚の悩み
この記事は約10分で読めます。

離婚している元パパの皆さん、精神的に元気ですか? 離婚には色んなパターンがあります。私は男性側の立場なので、やはり女性目線には立てません。男女どちらにも非があるのは当然として、直接的な原因の比重がどちらかに偏っていることがほとんどです。

浮気、借金、モラハラ、DV、など、誰にでも当て嵌まることは一般的な社会では悪者です。

しかし一方で、単にパートナー側のワガママから関係が悪くなることが現代では多くなったと思います。そういう目に遭った私の体験談と共に、子供との関係を考え直し実践していますので、悩んでいる人は参考にしてみてください。

全く諦めるのではなく、諦めることで得られる未来もあるという考え方です。

私の離婚体験談

私は、当時うつ病であるのに結婚まで考えてくれ、精神的に助けてくれたお相手にほだされ子供も授かりました。結婚後に懸命に仕事をして育児や家事も積極的におこない、父親として家族を守るために全力を尽くした結婚生活でした。
この時、服薬はほぼ無く、通院も念のため月1回通う程度でした。もう今後は通院も要らない段階でした。

そんな中、いくらうつ病がほぼ良くなったと言っても、やはり波があります。頑張り過ぎるから「あまりムリしないで」という言葉が嬉しく、抑えながら頑張ったものです。

色んなことが良好な時に、元妻の母、つまり義母のアドバイスが命令に変わったことがありました。
このことは実の娘である元妻は従えても私には理解できない言動が多くなり、よく元妻に相談したものです。その際、もう若くない夫婦なので、あるアドバイスは一応有りがたいというスタンスとしても、夫婦として答えを出して、今回のこれは断わりたいと伝えました。

すると、元妻は仕方ないという気持ちであっても、夫の立場も理解して承諾してくれたから、その旨を義母に伝えに行くと義母は「娘は本当はそう思っていない。娘のことを想うなら私の言う通りにして!」と怒鳴られました。(実はこれ、義母にちょっと来いと呼び出されての話です)

私の中では公式見解として夫婦の答えは出ています。渋々と言えど、元妻も頷いたことを、あろうことか義母には本音で話し、義母の口から説得してくれと頼んだようなのです。

え? それって私のせい? 私が夫として元妻の話を100%聞いて「義母の言う通りだね」とすれば良かったのに、自分の意見を持っていたから批判されているの?

その場で本人に問うと、義母の言う通りにしたいと言ってきました。夫婦の話し合いでは私に意見できないということを話し、私の身勝手な考えなんだと義母は罵ります。

要は私に気を遣って物を言えなくなったのは、私の振る舞いが悪いということです。

私も確かに強い意志を持っています。それは夫婦というものを最優先させたいからです。そのため私の実家の両親が何か言っても元妻には「気にしないで、夫婦で決めたことを話そう」と仮に意見が反対でも構わないと伝えてきましたから、まさか意見が義母寄りで反対だったとは聞かされていなく驚いてしまい、まさに口が開いた状態でしたね。

「なんでそれを先日に話してくれなかったの?」という想いでした。仮に夫婦の中でそういう話に決着が付かないなら、こちらも譲歩を増やすしかありません。しかし、その時はある程度譲歩したところで元妻が了承したので、そのくらいで良いかと思っていましたが、本音は100%の義母が言うとおりにしたかったとのことで、呆れて物が言えませんでした。

夫婦の話を優先できないパートナーは信用できません。

何よりも夫という立場の人に嘘や誤魔化しをする人は信頼できません。自分のことしか考えていない現れです。

要するに私は信頼されていなかったという事実を突きつけられたことが一番精神的に堪えました・・・。

元妻は独り善がりな考え方だった

あとから手の平返しをされたら、何のための夫婦でしょう。

少なくても元妻の性格は分かっていたので、それは本音なのかな?と気に掛けることもしばしばあり、何でも素直に正直に話せない空気を私が作ってしまったのかと自責の念に捕らわれたものです。

事実、そうなのでしょう。そこは私が至らなかったとして今でも後悔しています。

しかし、その時、私は義母からの言葉は一切聞けませんでした。私は心が狭い甲斐性なしの男ということです。否定はしません。

だから当初の通りにすると返答したものの、結果的にそれが直接の原因で離婚まで追い込まれました。その日から元妻の無視義母からの嫌味過干渉が始まり、元々うつ病から復帰した身に相当なストレスを抱え、自滅に追い込まれてしまうことになります。

仕事も順調だったのに退職するまで心身が疲労し、服薬を再開して完全に働け無い状態になってしまったのです。無視されてこの期間が3年続き、力尽きたという結末です。

一緒になった当時、「うつ病が酷くなったら私が支えるから無理しないで気楽に生きていこう」と言ってくれた元妻が、まさにそうなった私に「離婚してくれ。それがイヤなら今すぐ働いてくれ」と言われ、完全に心が折れましたね。

——。

ここまでは私の体験談です。人によります。離婚はケースバイケースです。

同感も要りませんし、批判も要りません。事実は事実で、元夫婦共に足りなかった。義母も足りなかった。それだけだと思います。

子供とは良好

子供とは良好の関係です。離婚した今も何も変わりません。

先日も私の親類と面会日にバッタリ出くわすことがあり、離婚前と同じような子供達の振る舞いに驚いていました。離婚したんだよね?って。

そのくらい親子関係は少ない面会の中で確固たるものにしてこれたと自負しています。子供も同じでしょう。

そういった子供との関係を望まないのも元妻の考え方です。離婚したら縁を切る。それはあちらの実家の総意なのでしょう。別には考えられないようです。理不尽に離婚されたというなら、それも仕方ないと思いますが、離婚届けを持ってきたもの元妻側です。そこの承認欄にはあちらの両親の記名でした。

こちらから慰謝料を請求しても良い内容なのに、敢えてしなかった私につけいるかのような対応です。まさに身勝手以外にありません。

そこはもう考えないようにして、あくまでも子供の為、父親としてどう関わっていくのかを考え、元妻にメール(しかできない)しても相変わらずの無視で、独りになって忙しいから返事ができない。もう放っておいてくれという態度です。埒が開かないので、義母へ電話したところ、逆ギレされて電話を切られる始末でした。

なんだか私が浮気や借金や暴力を振るった極悪人かのような応対に、当時は憤りましたが、今では憐れだなーと冷ややかに見ることができています。

変わらずに子供と面会を楽しくしていることが、逆にイラだたせているのでしょうか。最早、理由も分かりませんね。

毎月の面会を子供も私も心待ちにしていることを邪魔するかのような振る舞いに、柔軟に切り分けられない、何ら子供の気持ちを考えていない浅はかな人だったと呆れています。

記憶が毎回リセット

子供との面会は年齢が小さい頃の話の限定になりますが、面会の度にリセットボタンを押されたかのような感覚です。まだ未就学児だったため、会うとパパと想い出すものの、前回に何をしたのか全く覚えていないのです。

だから、最初の1時間は毎回同じようなやり取りが続きました。学校に上がってからも同じです。その時間が短くなるだけで、初めからやり直しの時間はあります。

「パパ」と呼べず「ママ」と言い間違う。

これも離婚後の面会あるあるです。
私を呼びかけるとき「ママー」と呼びます。何度もそうなり、何回かで気が付き「パパ」に変わります。悪気は無いのです。面会以外に「パパ」という単語は出ていないのでしょう。恐らく話せないのだと思います。

他にも毎回同じ事をします。それも初めてやったという話でおこないます。「前もやったねー」と言うと「いや、はじめて」もしくは「あ、そうだった」と何も言わなければ、毎回が初めての体験にすり替わってしまいます。

なんとも虚しい瞬間です。

小学校に上がると、記憶も定着してきて、続きができるようになりました。月に1回ですから気が長い話です。

しかし、中には全くした覚えもないことを続きと称して言ってきます。恐らく妄想の中、夢の中でパパとしたことなのでしょう。仕方ないので「そうだったね」と話を合わせますが、別の人とやった、行った、ことなのだと思います。

こういうことは精神的に堪えますね。

諦めたつもりだった

子供との未来は一旦は諦めたつもりでした。離れた父親としてどのように関係を築こうかと切り替えていたつもりです。しかし、子供に執着しているため、独りになった私にチャンスと思われる就職の話やお誘いがあっても、子供との面会を考えて躊躇し断ってきました。

数年経った現在、これでは自分だけが過去に捕らわれたまま、何も進展しないことに気が付きました。

居を変えてもチャレンジしないとならないこともあるかも知れません。時間を犠牲にして、面会を断らないとないとならないこともあるでしょう。

しかし、全く身動きが取れない状態に陥ってしまい、子供にも合わす顔がないくらい自信が失われてきました。

自分としては諦めたつもりだったのに、どこかで子供とまた一緒に生活できると勝手に想像していたようです。それはあるかも知れませんが、あらぬ期待になりかねません。

本当の意味で諦める先に見えるものが、結果的に手にする物だと考えを改めています。

面会の日の夜から翌日は、相当な落ち込みです。まさに絶望感。精神的に回復したのにぶり返す毎月です。同じように絶望感に襲われている人は、次のように考えてみてください。

諦めて会わないけど会える

子供との面会については相手に任せることにしました。

元妻が必要とあれば連絡してくるでしょう。子供も会えないなら会いたくなり、これまで言えないままでいたけど、言わないとパパと会えないなら必死に嘆願するかも知れません。仮にも元奥さんです。そこだけは信頼してあげようと思っています。

逆に、子供ながらにパパを恨んで二度と会わないと心に誓うかも知れませんが、そこも我が子を信じて待つことにしました。

だから、もう積極的にこちらからは面会日を設けていません。

その代わり、私は決められた面会日も今後は考えずに自由に発想し、仮に子供との面会となれば何を差し置いても優先させています。

元妻には申し訳ないですが、より一層子供の気持ちを考えられる環境を作る方が、本人のためでもあるのではないか?と私のケースでは考えています。

実際、私は稼げていないので、養育費は僅かなですがきちんと毎月履行しているとはいえ、経済的には何も貢献していません。恨まれても仕方ありません。
養育費の金額は収入算定表によって出しているので、多くも無く少なくも無く、そこには感情すら入れていません。
仮に結婚していたままなら、私の稼ぎはすべて元家族の物でした。養育費の大小は離婚したのだからお互いに仕方のないことです。

こちらからは会わないけど、子供が会いたいならいつでも会える

これは面会を重ねた結果、今までは考えなかった答えです。拒絶はしませんが、自信を持ってパパとして会えるように自分がきちんと生きることが、結果的に子供への自尊心に繋がるのではないかと思えたのです。

黙っていても今日はパパとの面会をこなすだけでは子供にとっても受け身です。本来はそれでいいのですけど、離婚して別居しているので、黙っていたら何もならないことを学んで欲しいと思います。(本当は元妻に学んで欲しい)

ツライのは誰よりも子供

いくら私が悲惨な対応をされていても、子供の心ほど悲惨なものは他にありません。

父親が思う絶望よりも、子供が抱える絶望の方が遙かに度合いは違うでしょう。子供は母親に嫌われたら終わりです。危機感があると思います。父親のことなど二の次になってしまうのは仕方ありません。

経済的には今後もあまり役立たない父親だとしても、いつか心の拠り所として機能する役割があると信じて、その日のその瞬間のためだけに生きるのも悪くありません。そう思います。

私自身が母を亡くし、老いぼれた父しか居ない中、老いぼれても父が居てくれることで救われることがこの歳になってもいくつかあります。居ないよりはマシです。私もそういう立場で構わないから、居てくれて生きてくれていて良かったと再会した際、できれば老いぼれ度合いが少なく、スタイルよく元気に笑ってあげられる父親を目指そうと思っています!

多少ですが筋トレしてウォーキングして、摂生して健康でスタイルも良いカッコイイ父親像を維持していければ、少しは幻滅せずにいてくれるかなー。

とにかく、ツライのはお金がないことや会えないことではありません。

自由に実の父に会えない、話せない、相談できない、そういう子供が誰よりもツラく悲しい生活だと肝に銘じて頑張るしかありませんね。

 

私が離婚をしたことを知らない95歳で他界した祖母が「人生は最後に必ずゼロになる」と言っていました。ツラいことも何もかもプラスマイナスゼロになるから、ツラいことがあってもきっと同じだけの幸せが待っていると何度となく言ってたことを想い出しました。父方の祖母は101歳まで生きました。晩年はどちらも大変でしたが、二人の祖母が生き続けることで救われる親族も多かったと思います。

離婚して苦しんでいる元パパ達に、一つ違った考えもあると伝わり、今の気持ちが少しでも楽になれば幸いです。

※これは実体験ですが私側の一方的な考えや見方です。当然ながら元妻側の言い分もあります。その点はご理解ください。

コメント